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●鹿沼三十三観音 栃木県鹿沼市 |
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藤江上坪観音堂 藤江町 |
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・鹿沼33観音第10番 |
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むかしの藤江村 「鹿沼市史資料編 近世2」参考
藤江村 黒川の東部にある洪積台地で溜池からの用水などによる稲作もあるが畑作を主とする地帯である。宝暦2年(1752)から幕府領、安永4年(1775)から幕末まで宇都宮戸田領。天保年間の村高623石余・家数60軒。楡木宿の助郷村であった。東部の伊吹山にある愛宕大権現は朱印地10石を与えられ、別当は真言宗普門院(廃寺)であった。
藤江村の概要 市域の南部に位置し、南は羽生田村(現壬生町域)および黒川をはさんで赤塚村、西は南流する黒川をはさみ磯村と境を接する。「慶安郷帳」では壬生藩領、「元禄郷帳」では旗本三浦氏の知行、宝暦2年(1752)からは幕府領と変遷し、改革組合では宇都宮藩領となり幕末に至った。「慶安郷帳」では田261石余、畑211石余、「元禄郷帳」には482石余、「天保郷帳」に623石余が記載される。村は「西坪」「台坪」「上坪」「原」の各地区に分かれる。西坪の神社として浅間神社を祀る。村内東部の伊吹山の西中腹には朱印地10石と所持した太郎坊愛宕山大権現がある。真言宗普門院が別当を勤めた。明治初年の神仏分離により愛宕山大権現は愛宕神社と改称、普門院は後に廃寺となる。また、東原には明和2年(1765)から同8年まで当地の代官であった鵜飼左十郎を祭神とする鵜飼神社がある。鵜飼左十郎は寛保期の黒川河原開発に端を発して疲弊していた当村に善政を施したことから、村人がその徳を慕い、鵜飼左十郎の生霊を祀って建立したものであると伝えられる。
慶安郷帳 1648年 元禄郷帳 1701年 天保郷帳 1834年
一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本による分給支配地である。 相給=複数の領主下 |
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