■説明板・・・
●愛宕神社由緒と新築の歩み
▼所在地 鹿沼市藤江町1518番地
▼祭神 軻遇突智命(読み)かぐつちのみこと(コトバンクには・・・記・紀にみえる火の神。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。生まれたときに母神の陰所をやいたため,母神は死ぬ。おこった父神にきりころされ,その血から岩石神,雷神らが,死体からは8種の山津見神(やまつみのかみ)が生まれたという。「古事記」では迦具土神とかく。)
▼境内 1070坪
本社は名所伊吹山(鹿沼カントリークラブの山)の中腹に鎮座し、創立は不詳なるも寛海法印の開山なりと伝えられる。往古は太郎坊愛宕山大権現と称し、口碑には京都の愛宕山を次郎と称し、江戸の愛宕山を五郎と称した。江戸時代には公家等日光社参の節は御参詣になったとも伝えられる。
徳川家代々崇敬の神社にて、慶安元年三代将軍家光公より石高10石余の御朱印田一町七反畑三町一反を賜り、境内も伊吹山全面積13町3反2畝8歩と拡大なものであった。元文2年(1737)12月13日宗源宣旨正一位を授けられ御神威益々高く別当に真言宗智山派普門院が奉仕に当たった。明治初年愛宕神社と改称村社に列せられた。
元来氏子の信仰が厚く春祭2月24日、夏祭7月24日、例祭11月23日には太々神楽の奉納もあり盛大な祭典が執行される。
本社に正一位7社大明神幣帛 (へいはく:幣束)が奉安されているが由緒は詳らか(つまびらか)でない。
■?奉納元禄4年3月藤江武石衛門満政
社殿は300有余年風雨に耐えたが、老朽化が進み倒壊の恐れあり年々懸念されたが、平成10年自治会総会にて新築が決定されたので建設委員17名を選任、委員は新築された各地の神社を参考に新築の予算寄付金塔慎重に検討を重ね、平成14年3月11日工事に着工、同年11月15日荘厳な社殿が完成し、18日竣工奉祝祭が盛大に斎行されました。これ偏に氏子崇敬者関係業者のご協力の賜と感謝を申し上げます。
敬神の念ますます厚い氏子の皆様併せて関係各位の御健勝と御多幸を祈念いたします。
寄進者の御芳名は記念碑に刻み建立いたします。
宮司 金子信彦
撰文 藤江秀治
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