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 鹿沼市のいろいろ   栃木県鹿沼市
ふらりドライブ21.6.13車中撮影
日光西街道 高速道北
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この道は壬生通りでもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、徳川家康の没後、東照宮に幣帛(へいはく)を奉献するための勅使(天皇の使い:日光例幣使)が通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。地元(栃木県鹿沼市〜日光市)では現在もこの区間(国道293号〜国道121号)を「例幣使街道」と呼んでいる。この区間にも日光杉並木が現存する。

◆鹿沼市磯町地内、国道352号線、このまま行けば壬生町へ。楡木追分〜高速道までの間。
日光西街道(壬生通り)は小山市喜沢を起点とし、県道18号線に入り、壬生町を経て鹿沼市楡木で日光例幣使街道と合流し、今市で日光街道に合流。宿場としては飯塚宿(小山市)→壬生宿(壬生町)→楡木宿(鹿沼市)→奈佐原宿(鹿沼市)→鹿沼宿(鹿沼市)→文挾宿(旧今市市)→板橋宿(旧今市市)→今市宿。

参考 一里塚(一里は約3.9キロメートル。正確な距離ではないと思う。)
●小山喜沢の一里塚、●飯塚の一里塚、●壬生の一里塚、●稲葉の一里塚、●鹿沼市北赤塚の一里塚は見ることができる。ここ以北では現在はないが、●鹿沼市奈佐原町、●鹿沼市蓬莱町、●鹿沼市御成橋町に一里塚があったそうです。旧今市市内に入ると、●小倉の一里塚(JR文挾駅近く。まだ見てない。)●板橋の一里塚(板橋地区南側あたり。まだ見てない。)、●室瀬の一里塚があります。
ほとんどの一里塚には榎が植えられていたそうです。榎は巨木になり、枝が沢山出て、葉が茂り、夏場の日差しの強い時、旅人が休憩をするにはもってこいの樹木だったようです。確かに松だと、木陰が小さいかも。壬生町上稲葉あたりは昔の宿場町だったのかと思っていたが違うみたい。
↓杉と桧
↓このへんからイチョウ