ふるさと郷土史散歩 柳田芳男氏 著 参考
御成橋
「御成橋」の橋名は、江戸時代に将軍が日光にお成り(日光御社参)の際、黒川に新しく橋を架けたことに由来している。将軍が初代家康の廟である東照宮に参拝する際、往路を日光街道、復路を日光西街道と、道筋を変えて往来した例もあった。江戸を出発して三泊目が宇都宮城で、翌日大沢宿で休憩して日光に到着。帰路は、日光を出発して鹿沼宿に休憩し、一泊目が壬生城ということである。将軍が最後に御成橋を渡ったのは、寛文三年(1663)に行われた四代将軍家綱社参の際の帰路であり、その時の休憩場所は、御殿地で、後に御殿跡と称した現在の中央小学校の敷地である。それ以後は、往復とも宇都宮城経由で社参が行われていた。 |
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