かぬま郷土史散歩 柳田芳男氏 著 参考
御殿跡
今宮町地内の歴史をさかのぼって行くと、坂田城(通称鹿沼城)の歴史と重なってくる。平山城である鹿沼城の中心は御殿山で、本丸・二の丸と見られるところは野球場となっており、南の平城部は御殿跡と言われ、現在の中央小学校の敷地となっており、いずれも今宮町地内である。その御殿跡と称するところに、戦国の世に館を構えて住居していたと想定されるのが城主壬生氏である。戦時には御殿山に立てこもり、平時には館で起居していたのである。壬生氏が滅亡して廃城となり、将軍が日光社参の途中、その館跡に休憩所として新造して建物を御殿と言い、その跡地が御殿跡という地名になった。 |
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