・・・・・壬生町の風景・・・・・
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   壬生町
2.壬生寺 26.2.26  こちらは以前の壬生寺
「わが町の史跡を訪ねて」
慈覚大師誕生地(じかくたいしたんじょうち)
慈覚大師(794-864)は壬生の地御里(新町)に生まれたと言われています。姓を壬生氏、名を円仁といいます。幼少にして父を失い母に育てられましたが、温和で強い性格の持ち主でした。9才の時大慈寺の僧広智菩薩に学び、15才で比叡山に登り伝教大師(最澄)に師事しました。また838〜847年の間、唐に渡り天台宗を学びました。在唐中には武宗の廃仏にあい、俗人に身を替えたりの苦しい求法をしました。この旅行中に書いた「入唐求法巡礼行記」は、マルコポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「西遊記」とともに世界三大旅行記の一つとして高く評価されています。帰朝後は、天台宗第三世座主となり、伝教大師の偉業を大成し日本天台宗の基礎を築きました。寺の正面は「大師堂」と呼ばれ、慈覚大師を祀っています。このお堂は貞享3年(1686)日光山輪王寺の願いによって壬生城主三浦壱岐守正次によって建立されました。このお堂のすぐ西に「大師産湯の井戸」があります。また境内には、県指定天然記念物の「大イチョウ」があります。
■説明板・・・
●紫雲山 壬生寺の由来
壬生寺は、慈覚大師円仁の御誕生地(794年)として信仰されてきました。大師堂は、江戸時代貞享3年(1686)日光山輪王寺門跡天真親王が壬生城主三浦壱岐守に命じ再興し、側に小山市飯塚の台林寺を移し別当とした。その後、大正2年(1913)大師1050年御遠忌に、壬生町信徒が慈覚大師報恩会を組織し、町民協力し東京上野寛永寺内の天台宗学問所(旧勧学寮)を移築して本堂とする。大正5年新たに壬生寺を創立し現在に至る。尚、境内には慈覚大師産湯の井戸がある。本堂には大師が唐より持ち帰り上田樹齢千年の白檀の木で作られた大師像が安置されている。
壬生町観光協会
■説明板・・・
●壬生町指定有形文化財 壬生寺 大師堂(たいしどう)平成3年1月1日指定
大師堂は、天台宗の基礎を築いた平安時代の高僧、慈覚大師(じかくたいし)を祀っています。このお堂は、貞享(じょうきょう)3年(1686)日光山輪王寺の願いにより壬生城主三浦壱岐守直次(みうらいきのかみなおつぐ)によって建立されました。現在、建立時の棟札(むなふだ)が当寺に保管されています。屋根は入母屋(いりもや)造りの桟瓦葺(さんがわらぶき)で、内部の格天井(ごうてんじょう)には菊花紋が色違いに描かれたいます。また寸法は正面三間、側面二間、向拝(こうはい)一間となっています。大師堂は彫刻類の飾りは一切なく簡素ですが、格調の高い建物であるとともに、江戸中期に建造された町内に残る唯一の建造物です。
平成4年1月 壬生町教育委員会