■説明板・・・
●谷中村遺跡、延命院共同墓地
延命院は室町時代に谷中村古河に創立された寺院であり、共同墓地の墓石は江戸時代初期より連綿と存在する。谷中村は五穀豊穣の地として栄えていたが、足尾鉱毒事件により、この延命院もまた強制買収され廃寺となり、いまわずかに墓石を残すのみとなる。田中正造翁が谷中村に入って6年明治43年4月1日の日記の一部に谷中村事件を次のように記している。「谷中と銅山の戦いなり官権これに加わりて銅山を助く、人民死を以って守る何を守る憲法を守り自治の権を守り祖先を守りここに死をもって守る」と主張した。この地は昭和47年谷中湖造成計画に入っていたが、公害闘争の原点であり、谷中村事件の唯一の生き証人として残すべきと谷中村の遺跡を守る会の陳情運動により保存されたものです。
谷中村の遺跡を守る会 |