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●黒磯市の風景    現 栃木県那須塩原市
高林の一里塚 19.10.5撮影
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■説明板・・・
●高林の一里塚
一里塚は、江戸時代の初期に全国の主要道路の両側に江戸日本橋を基点として、一里毎に塚を築き旅する人々のために便宜を与えた道路の附属施設の一つであり、この一里塚は会津中街道に築かれた一里塚の一つである。江戸から幾つ目の一里塚で、この地が何里目であったかは明らかでない。一里塚の起因は中国にあり、我が国では安土桃山時代に織田信長が領国に土喉(?)を築かせたのが初めといわれている。安土桃山時代においては一里の距離が一定でなかった。豊臣秀吉が天下を統一すると、一里は三十六丁(約3.92キロメートル)と定められ、徳川幕府もこれを用い、家康は慶長9年2月全国の諸大名に命じて、全国の主要道路に一里塚を築かせ、幕府領は代官、私領は各大名に築かせたものである。この一里塚は、高林の集落内に築かれたため、他の一里塚に比較して小規模であったのではないかと思われる。周囲は大部分崩壊し現在は約二間(約3.6メートル)・高さ約五尺(約1.5メートル)程度であり、中央に欅かと思われる大木の切株がある。東側の塚は石蔵建築のために整地されその形跡もない。
黒磯市教育委員会(現那須塩原市)