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●足利市の風景   現 栃木県足利市
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稲荷社 足利学校  19.11.20
入徳門学校門事務所・受付棟孔子像稲荷社旧足利学校遺蹟図書館ナンバンハゼ孔子廟字降松南庭園・裏門衆寮方丈・庫裏・書院北庭園
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●正一位霊験稲荷社縁起
この正一位霊験稲荷社は、足利学校第7世庠主(しょうしゅ、※「庠」とは学校を、「庠主」とは校長を意味するということが足利市のHPにでていました。)玉崗瑞璵(ぎょこうずいよ:=(九華瑞璵(きゅうかずいよ))が書いた天文(てんぶん)二十三(1554)九月の棟札(むなふだ)に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が、年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合わせ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554)9月よりかなり時代がさかのぼると思われる。江戸時代この稲荷社は、霊験あらたかで足利の町の人々をはじめ近郷近在の人々が信仰し、祭礼におおぜいの人々が参詣した。またこの稲荷社の狐は、足利の町に異変がおこりそうな時は、前の晩などに危険を知らせて人々を守ったので、人々から大事にされたという。江戸時代足利学校では毎年11月に、御供小豆飯(おそなえあずきめし)をわらにのせ、狐の穴に供えていた。この稲荷社が霊験あらたかなので、明和7年(1772)第16世庠主千渓元泉(せんけいげんせん)が、もとの稲荷大明神を改め、正一位如意(にょい)霊験と尊崇し、正一位霊験稲荷社とした。社殿は天文23年(1554)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。参道にある灯籠は、元文(げんぶん)2年(1737)に足利町の石井新五兵衛・亀田市郎兵衛の寄進、水屋の手水鉢(ちょうずばち)は江戸の大井権左衛門の寄進であり、明治42年(1909)図書館のところにあった社殿とともに現在地に移された。神前には佐野の天明で作られた灯籠がある。
平成11年11月吉日

※(辞書  九華瑞璵 きゅうか-ずいよ
1500-1578 戦国-織豊時代の僧。
明応9年生まれ。臨済(りんざい)宗。大隅(おおすみ)(鹿児島県)の人。儒学にも通じ,とくに詩文で知られた。天文(てんぶん)19年下野(しもつけ)(栃木県)足利学校の学頭となり,北条氏政(うじまさ)の帰依(きえ)をうけ,戦乱で荒廃した同校の復興につとめた。天正(てんしょう)6年8月10日死去。79歳。字(あざな)は玉崗(ぎょっこう)。号は九華老人。)