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●野木町の風景       栃木県野木町
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野木神社 19.12.6
■説明板・・・
●野木神社由緒沿革
仁徳天皇の時代(約1600年前)、下野国造奈良別命(ならわけのみこと)が当国赴任の折、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の遺骨を奉じ、下野国笠懸野台手函(かさがけのだいてばこ)の地に斎奉(いつきまつ)る。その後、延暦年間(約1200年前)に坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中、当社に鎮撫(ちんぶ:反乱や暴動などをしずめて、民を安心させること。)の功を奏し、その報賽として現在の地に社殿を造り遷座したと伝えられる。鎌倉時代には、幕府より社領として旧寒川郡8ケ村の寄進、及び神馬の奉納が有り、又元寇の際、北条時宗公より攘夷祈願の命を受けて、右殿左殿に息長足比売命(おきながあらしひめのみこと)を始め、あらたに五祭神を合わせ祀った。文化3年(約190年前)火災により社殿悉く焼失したが、時の古河城主、土井利厚公は領民の協力を得、現在の社殿を再建した。明治時代には乃木大将も当社を厚く崇敬し、度々参拝の訪れ、所縁の品々を御神宝として奉納した。
・・・以下省略・・・