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●氏家町の風景   現 栃木県さくら市
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勝山城跡
19.2.5
■説明板・・・
●勝山城跡(かつやまじょうあと)
勝山城は南北420m、東西370m、鬼怒川の段丘面を天然の要害にした崖端城(がいたんじょう)である。鎌倉末期頃、氏家氏が築き、その後芳賀氏によって強固な防備が完成した。中世下野における、宇都宮氏一族の北方防衛の拠点であり、戦国時代では那須氏との激戦地となったが、堅牢な城で落城することはなかった。だが宇都宮市が慶長2年(1597)豊臣秀吉の命で改易したのに伴い、あえなく廃城になった。明治以降の城跡は、特に黒須家が私財を投じて勝山城周辺の土地を購入したことなどにより、よく遺存されていた。しかし、戦後の開発の波は勝山にも押し寄せ、文化人らによる啓蒙活動や保存運動が続けられたが、ついには本丸跡も破壊された。しかし、これを機に本丸跡は公有地となり、初めて学術調査が行われ、大手口や土塁を復旧し、町指定史跡となった。平成5年(1993)城域内にはさくら市ミュージアムが開館し、廃城後400年を経て、勝山城は文化の拠点としてよみがえった。