19.1.22
■説明板・・・
●河原石塔婆(史跡)
板碑(いたひ)は鎌倉から戦国末期までに造立された板状の石塔婆で、頭頂部を三角形にし、その直下に二条の横線、その下に信仰を示す種子(しゅじ)・造立年紀やその他銘文などを刻み、追善や供養などの目的でつくられた。
関東一円は、秩父産の青石(緑泥片岩)が使用され、板碑の主流をなしている。
下野全域もこの板碑の分布圏内にあるが、氏家地方に限り、鬼怒川産の河原石を加工しない板碑と同様式の石塔婆が存在している。これを板碑と区別して「河原石塔婆(かわらいしとうば)」と呼び、現在までに氏家地内で11か所、17基が確認されており、特に古町には6基も群在している。
河原石塔婆は氏家の中世資料として、また板碑の分布圏内に共存する金石文資料として注目されている。主な造立年紀銘をあげると、正安3年(1301)正和5年(1316)嘉暦元年(1326)元弘4年(1334)〔五大種子〕などがある。
氏家町教育委員会 |