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●氏家町の風景   現 栃木県さくら市
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堂原 将軍地蔵
説明板
将軍地蔵
源義家(みなもとの よしいえ:平安時代後期の武将・通称八幡太郎 1039-1106)が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めません。宗円(そうえん)法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺(まんがんじ)を建てました。
室町時代のころ、ここから日光山に修行に行ったお坊さんが意地悪山伏に素麺を無理やり食べさせられ気絶しました。
別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので山伏は降参しました。
お坊さんは将軍地蔵の姿となりお坊さんを連れて勝山に帰りました。これから「そうめん地蔵」伝説が生まれ、日光責め・強飯式(ごうはんしき)が起こったと言われています。戦国時代に那須勢が攻めてきて焼打ちをしたので満願寺は焼けてしまいました。江戸時代には再建されて堂原地蔵堂となり奥州街道の道中安全にご利益があるので有名となり、遠く秋田・会津の商人たちから奉納された石灯籠などが残されています。

◆ウィキペディアには
※素麺は日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされており、奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ
※宗円は藤原 宗円(ふじわら の そうえん)は平安時代後期の人物で、後に下野国を地盤に活動した宇都宮氏の初代当主と目される。

前九年の役の際に河内源氏の源頼義、義家父子に与力し、凶徒調伏などで功績を認められ、康平6年(1063年)に下野国守護職および下野国一宮別当職、宇都宮座主となるが、もともと石山寺(現在の大谷寺との説もある)の座主であったとも言われ、仏法を背景に勢力を拡大したと考えられている。
19.2.5-20.9.14