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●真岡市の風景    栃木県真岡市

遍照寺 真言宗
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18.12.15
■説明板・・・
●ご案内
○お大師様と遍照寺
当寺は弘法大師八十八ケ所の霊場としてお大師様と深い御縁のあるお寺として広く知られております。厄除と学問の弘法様として入学成就のため、お母様に連れられて祈願のお越しの受験生、交通安全その他諸願成就祈願のため十方有縁の善男善女の方々が四季に絶えることなくお大師様のご慈光に浴され誠に貴い限りでございます。
○当山のおこりについて
今を去る650年前暦応年間光明天皇(北朝方)の御代関東管領足利基氏公によって中村茅提に創建され、京都三寶院御門跡管宮様から菊花ご紋章と如意山寶珠院遍照寺の寺号を賜り室町幕府から護持僧三寶院賢俊僧正によって開山された由緒あるお寺です。観音寺、正法寺、峯寺など六供の門末寺院を有し、足利家の祈願寺として古河公方の成氏公、政氏公の帰依深く公方様方から当寺あての書状等が遍照寺文書として保存されております。今から約450年前天文年間、後奈良天皇の御代第15代中村城主中村小太郎時長によって、茅提から移築されたのですが、永禄元年火災に罹り室町時代に建築された五重塔(二代将軍足利義詮寄進)や大門、山門など七堂伽藍がことごとく灰ろと化し往時をしのぶのみ、現存する諸堂伽藍はその後再建されたものです。明治35年智山派に属し、総本山智積院直末、談林格として仏徳赫々(かくかく・かっかく)法燈をかかげて悠久ここに650年御本尊如来と、大師の御誓願宣揚と正法興隆を目ざす根本道場として当山はいま十方有縁の方々の心からなる帰依をあつめております。
・・・途中まで
■説明板・・・
●栃木県指定史跡 中村城跡
昭和35年6月24日指定 所有者 遍照寺
中村城跡は中村遍照寺の全境域である。東西191m南北182mの長方形の遺跡が残されている。濠の深さは約6m、幅9mである。地域内には遍照寺、天然記念物のかやの木や中村大明神(祭神=中村小太郎藤原朝宗)があり、ほとんど築城当時のまま保存され、城跡を研究する上で貴重な資料である。中村朝宗が保元元年(1156)から中村の地に住み、館を築いて中村荘を管理した。中村荘は藤原摂関家の荘園であった。朝宗の子常陸介宗村は源頼朝の奥州征伐に従軍し、戦功をたて伊達、信夫2郡の地頭職となり、その子朝定が中村を継いだ。それ以来代々中村氏の居城であったが、天文13年(1544)中村玄角が水谷播龍と戦って敗れ、それ以来廃城となった。
真岡市教育委員会 平成4年3月