■説明板・・・
●長蓮寺の弁財天
長蓮寺の弁財天は江戸時代の寛文7年(1667)に江戸大衆の発起と浄財により、高僧の大仏師が江の島(神奈川県、竹生島(滋賀県)、天川(奈良県)の三弁財天を模刻し、33年かけて元禄13年(1700)に完成したもので、御本尊は黄金色の木彫で、左手に宝珠を乗せ、右手で法剣を握る像高3.45mの二臂半跏像(二つの手があり片足を組んでいる像)である。当時は、浅草日輪寺の下寺宝樹院にあって、元禄15年(1702)に赤穂義士大石内蔵助以下四七士も主君の仇を討つに当たり、その成功を御本尊に祈願したと噂が立つほど、多くの参詣者が日毎集まったという。時の流れの中で宝暦12年(1762)筏にのって浅草から隅田川を下り、利根川、鬼怒川を経て、長蓮寺に移ったもので、御本尊の脇侍に毘沙門天、大黒天を、眷属(けんぞく)として十五童子を配置した全国でも珍しい弁財天で、昭和63年に市指定文化財になっています。 |