●那須町の風景              栃木県那須郡那須町   

芭蕉句碑 那須温泉神社
那須町一覧 ホーム
18.11.10
■芭蕉の句碑説明板・・・
元禄2年4月(1689)芭蕉は奥の細道をたどる途中殺生石見物を思い立ち、まず温泉神社に参拝した。そのとき、同行の門人曾良の日記には温泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉る両神一方に拝させ玉ふを、翁
湯をむすぶ 誓いも同じ岩清水
この句碑は徳川氏の奥八城太郎弘賢の書である。

奥八城太郎弘賢・・・ネットで探しても出てこない。

奥・・・奥右筆
八城・・・屋代(やしろ)
太郎・・・通称名
弘賢・・・弘賢

かな?

屋代弘賢(やしろひろたか)という人は江戸時代実在し、将軍そばに仕える奥右筆(秘書役のトップのような重要な役職)。子どものころは通称太郎と呼ばれていたようです。重要な書類を書くのが仕事なので当然字も上手かったのでしょう。