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村指定有形文化財大34号 密嶽神社(みつたけじんじゃ)
通称「隠居羽黒山」いわれる当社は、嶽の頂上に三神を祭祀(さいし)したので羽黒山三社大権現と呼称され鎌倉後期の元亨(げんこう)2年(1322年)創建と伝えられている。宇都宮城主は、9代宇都宮高綱(後に公綱)の代であった。後に三嶽大権現と改められ
羽黒山大権現と同様に多くの崇敬を受けていたが、江戸時代に入った寛延(かんえん)3年(1750年)2月の野火のため火災となり全焼した。その2年後の宝暦(ほうれき)2年9月、拝殿を再建し境内を広めた。このとき頂上の巌石の下から清水が湧き出したので、人々は、これより「水嶽大権現」と呼んだ。明治元年3月の神仏分離によって権現を改め「密嶽神社」と改称し、今日に及んでいる。また、本殿における彫刻は、農作業をモチーフとして描かれている素晴らしいものであるが作者は不明である。
栃木県・上河内町
上河内村教育委員会 |
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パンフには社前を広げていたとき岩の下より清水が湧き出した。それで水嶽大権現といった。と書いてある。 |
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御神木のコメツガ |
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