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●西那須野町の風景   現 栃木県那須塩原市

■乃木希典別邸大きい画像
乃木神社・乃木希典旧宅
二つの説明板・・・
■乃木神社由緒
御祭神 乃木希典命
配 神 乃木静子命
乃木将軍は、明治23年に伯父吉田清皎(きよあき)氏の農園を譲り受け、翌年那須野石林に別邸を建設されました。軍人ではありましたが、休職の間はここに来て農業に従事し、「農は国の大本なり」と農の範を示されました。明治天皇様が御崩御なされ、大正元年9月13日の御大葬にご参列の夜、東京赤坂の御本邸においてご夫妻は殉死されました。その悲しみの報に接し、地元住民の方々が寄付を募り、那須の乃木神社が創建され、大正5年4月13日に御鎮座となりました。別邸は、遺言により実弟の大舘集作氏の所有となりましたが、やがて御遺跡全部が県下諸学校の浄財寄付により、乃木神社に奉献されました。以来、ご命日の9月13日を例大祭として祭礼を執り行い、崇敬者の方々と世界の平穏をお祈り致しております。
御鎮座祭 4月13日
例大祭 9月13日

■乃木神社の歴史
乃木神社は、乃木将軍として今でも親しまれている乃木希典を祭神とする神社です。杉木立におおわれた境内には、社殿(本殿・拝殿)のほか宝物館があり、将軍ゆかりの品々が保存されています。境内の東には、乃木希典が明治時代に四度の休職中、晴耕雨読の生活を楽しんだ乃木別邸があり、今も静沼の水面に影を映しています。大正元年(1912)9月13日、明治天皇大葬の日に乃木将軍夫妻が殉死されると、人々に大きな衝撃を与えました。別邸があり、将軍ゆかりの深かった狩野村(現西那須野町→那須塩原市)石林や那須地区の人々は、将軍夫妻の殉死を深く悲しみ、有志者によって将軍を祀る神社の建立が提案されました。大正3年(1914)8月、神社創立の儀が出願され、県内外からの寄付によって、大正5年(1916)3月6日に社殿が竣工しました。4月12日に鎮魂祭が、そして翌13日に鎮座祭が執りおこなわれ、乃木神社が創建されました。その後も、乃木将軍は「軍神」として、また「土徳勧農の神」として人々の敬慕を受けました。
・・・以下省略します。
■説明板・・・
●県指定史跡「乃木希典那須野旧宅」(乃木別邸)
乃木将軍として今でも親しまれている乃木希典は、明治24年(1891)、この地(当時・狩野村石林)に、約14haの土地を求めました。これは静子夫人の叔父(旧薩摩藩士・吉田清皎(きよあき))が所有していたものを譲り受けたものです。購入時に、住宅一棟と納屋がありましたが、翌25年、乃木将軍は自ら設計して、農家風の別邸を建てました。栗の板を小さく切って重ねた栗小羽葺(こりこばぶき:後に瓦)平屋で建坪53坪(約175u)。広い土間と囲炉裏があり、畳の部屋は6部屋ほどありました。乃木将軍は生涯に4度の休職をしましたが、別邸を建ててからは休職中(のべ48ケ月)の多くをこの別邸で過ごし、晴耕雨読の生活を送りました。別邸は平成2年(1990)に焼失し、平成5年3月に再建されました。別邸の北側には、乃木将軍に関する書籍等が展示されている石林文庫(せきりんぶんこ)があります。
↓22.11.13
日が良かったせいか、七五三お参りの方がたくさんいました。乃木神社の隣には乃木公園があり、栃木県指定史跡、乃木希典那須野旧宅があります。南側には静沼があります。
林の中には清水もあります。乃木神社の境内には川幅は小さいのですが、水量が多く、流れも速い蟇沼用水(ひきぬまようすい)が流れています。