■説明板・・・
●田中正造邸宅
田中正造は1841(天保12)11月3日、旗本六角家領名主・富蔵の長男としてこの地で生まれた。
数え17歳で父の跡を継ぎ、後年政治改良を志した正造は、足尾鉱毒問題解決のため、東奔西走の日々を送った。異郷の地にあっても正造は古里を忘れず、小中村(こなかむら)の農業と教育の振興を願って、自己の田畑と家屋を村に寄付し、この世を去った。
道路に面し、西に表門を配して立つ二階家は、正造の両親の隠居所で、不在勝ちな正造の留守を守ってカツ夫人が同居していた。中庭を挟んで奥にある母屋は、構造、手法から19世紀初めの建造と考えられ、正造が生まれ育った家屋である。
この母屋には正造から依頼されて代々医師が住み、村の診療所に当てられていた。
母屋の左側後方にある土蔵は、母屋と同じころの建築と推察され、その半世紀後に解体修築した時期を示す墨書があった。
これまで、田中邸の改造と修繕は繰り返し行われたが、近年老朽破損の度が進み、邸宅を管理する小中農教倶楽部は、各方面から協力を得てその保存整備事業に着手した。
この間、県道拡幅計画があり、邸宅を移設する現状変更も含めて、1990(平成2)年2月に開始された事業は、ここにすべての工事を完了した。
1993(平成5)年3月 財団法人 小中農教倶楽部
※田中正造の父の名前が、富蔵・庄造と二つあります。?
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