●案内1 記念物(史跡) 【南山通り横川一里塚】
この一里塚は、上三依旧塩原街道一里塚と同様街道の両側にあった。近年東側の塚が除去されて、現在は片方が残されている。この塚の西側の山際は「よばわり岩」と呼ばれる突き出た大岩がある。そのためこの一里塚は「よばわり岩の一里塚」と言われ、通行人に親しまれてきた。幕府の定めた一里塚の規準は直径五間(約9m)高さ一丈(約3.3m)であったが、この塚はやや小さく出来ている。会津西街道に残存する唯一の一里塚で貴重な史跡である。
藤原町文化財史跡指定 昭和48年2月
藤原町教育委員会
●案内2 記念物(史跡) 【会津西街道横川一里塚】
直径五間(約9m)高さ一丈(約3.3m)碑高七尺六寸(約2.5m)
この一里塚は、上三依一里塚と共に、会津西街道に残る貴重な史跡である。明暦元(1655)年、幕府は宿駅人馬の制を定め、五街道や脇街道の整備をすすめた。この一里塚も、同じころ築造されたと考えられる。ほぼ一里(約4キロメートル)ごとに旅行や輸送の道のりを示すめやすとして作られた道標である。目的地への里程を知り、運賃の支払いなどに利用された。近くに大声をだすとこだまする「よばわり岩」があり、人々は、この一里塚を「よばわり岩の一里塚」とも呼んで親しんできた。
昭和59年3月30日
栃木県
藤原町教育委員会 |