説明板・・・文字が消えているところ多数
高橋神社
大同2年(807年)平城天皇の御代にこの地に勧請したと伝えられます。
祭神は軻遇突智命(かぐつちのみこと:火の神様)大己貴命(おおなむちのみこと)を奉斎しています。
文禄慶長年度、高橋外16ケ村の豪族、高橋小太郎判官越後守貞勝の居城守護神として祖先より崇拝してきました。
しかし、貞勝の代になり、奥州伊達家の旗下に属したので、慶長2年奥州征伐の時浅野長政を将とした豊臣秀吉に高橋城は攻められ、一族は戦死しました。ところが祠宇一棟は不思議にも兵火を免れ、その神威を恐れ大将長政は時の■■を召して、「この祠宇は霊験顕著なる神なれば東高橋村の鎮守として永久に保存し崇拝すべし、これが神社修復料並びに御供米地として、田畑合計8町7反歩を高橋神社永降地としてこれを所持すべきものなり」■■墨付を拝領した。
正徳2年(1712年)2月18日神祇官領長従二位卜部朝臣兼務より■■■をもって高橋大明神の神号を賜る。・・・あとは不明 |
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