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●芳賀町の風景   栃木県芳賀郡芳賀町
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八雲神社
■説明板・・・
●八雲神社 由緒沿革
坂上田村麿蝦夷平定后、下野助乙貫朝則(※しもつけのすけ おとぬき:おつぬき:おとずら・とものり・・・という名まえでしょうか?)地方鎮護民意安定を祈願し、平城天皇大同2年(皇紀1467年)創立、永承6年(皇紀1711年)財部頼重(※たからべよりしげ・・・と読むのかな)武運長久を祈願し本社を改造、治承4年(1180)那須資隆(※なすすけたか:那須与一の父)当郷を領するに至り当神社を崇敬し社領50石(※米の1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当)を寄進す。慶長3年(1598)当郷大田原備前守晴清(※おおたわらびぜんのかみはるきよ:大田原藩初代藩主)の所領となる。同10年6月29日夜失火に依り本社烏有(※うゆう:すっかりなくなること)に帰す。大田原氏社殿を再建、天保3年(1832)神官岩松山城正重橋(※神官の名まえなのでしょうがどのような読みなのか?)社殿を改造す。元祇園牛頭天皇(通称天王様)と称し近隣郷土の鎮守として氏子崇敬の中心をなし明治3年八雲神社と改称、同6年郷社の列す。明治43年4月18日無格社、神明社を合社し、同45年1月12日勅令第96号により幣帛(へいはく)供進の郷社に列せらる。(※神饌幣帛料供進社)昭和21年6月17日宗教法人令に依り届出で同24年10月18日神社に無償貸付けてある国有財産の処分に関する法律に依り境内地無償譲渡を受けて登記を完了す。
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■説明版・・・
●八雲神社
大同2年(※807年・皇紀1467年)下野助乙貫朝則が高尾神社の分霊を勧請し創立する。永承6年(1051年)、財部頼重が本社を改造、高倉天皇の治承4年(1180年)那須権守資隆の領地になった時、本社を崇敬して社領50石を寄進した。後、大田原備前守晴清の所領となり、慶長10年(1605年)6月26日失火して本社が烏有に帰す。大田原氏が社殿を再建し、現在に至っている。明治6年(1873年)郷社となり、明治45年(1912年)幣帛供進の御社に指定された。神社の南西200mに琴平神社があり、文治5年(1189年)城主稲毛田重正の奉社と伝えられ、現在私有地で個人の氏神になっているが、7月29日例祭の注連降しは、この社より初まる。南東500mに清水があり、神泉として8月2日の例祭の神輿の清掃はこの清水で行なわれる。樹齢300有余年の御神木のケヤキとエノキがある(町指定天然記念物)
主祭神 素戔嗚命    御神徳  厄除・交通安全
芳賀町教育委員会