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益子古城(御城山遺跡)

20.2.2
■説明板・・・
●益子古城(御城山遺跡)
「陶芸メッセ・益子」の位置するこの地・御城山は、観音寺の北の台地にあり、「益子古城」とも言われている。「益子古城」は本郭を中央にして東郭、西郭、南郭、北郭を配置し、各郭を空堀や堀切、切岸によって分けている。1989年から1993年までの間に東京女学館短期大学・金子皓彦教授指導の発掘調査により、本郭には主殿とそれを囲む10棟の建物址ほかが検出された。南郭では4棟の建物址と6基の井戸址などが、東郭と西郭では各1棟の建物址ほかが認められた。建物の規模や配置、出土した陶器や中国製磁器などにより、およそ50年間存続した戦国時代の城と判明した。それは天正17年(1589)に落城した益子氏の城と考えられる。下野国誌や益子吉蔵氏系図によると、紀古佐美あるいは紀貫之の子孫が平安時代の終わりごろこの地をおさめ、益子を名のったという。戦国時代になって戦略上ここ益子古城を日常の暮らしの場所とし、高館城は戦時に立てこもって敵の来襲にそなえる城であったと思われる。落城して後、建物址などは今日まで地中に良くのこり、戦国時代の北関東地方の武将の城として貴重であるばかりか、全国的に見ても一時期の城の形態がこれほど明確に発掘調査された例は少なく、戦国時代の城として重要な遺跡である。城遺構の下層には南郭では旧石器時代の、各郭から縄文時代、奈良・平安時代、中世、近世の人々の暮らしのあとと遺物が数多く見い出された。益子町は、この貴重な文化財を後世に伝えるため、遺跡広場として保存・活用する。
益子町教育委員会