20.5.21
■説明板・・・
●松尾芭蕉は元禄2年4月16日(陽暦6月3日1689年)に余瀬を立って殺生石に向かった。曽良の「旅日記」には「16日天気能、翁、館ヨリ余瀬へ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及、昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。云々」とある。「おくのほそ道」には「是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望待るものかなと
野を横に馬牽き(ひき)むけよほととぎす
とある。この句は、余瀬を立って野間までの間に馬子に乞われて詠まれたものであろう。夏草が茂った広漠たる那須野が原を、馬上姿で行く芭蕉が想像される。特に「馬牽むけよ」の馬子への呼びかけの言葉が、ホトトギスの鳴声と合って一層の俳味が感じられる。この句碑は伝浄法寺桃雪建立であるが、年代筆者は不詳である。
芭蕉の里 黒羽町 |