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●日光市の風景 栃木県日光市 |
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上領玄碩の墓碑 |
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19.10.6撮影
滝尾神社→化け地蔵をちょいと見て歩き。
憾満が淵のところにあります。 |
ちょっと調べる・・・・
◇ウォーキング・ハイキングin日光◇のHPには
湯沢素光と上領玄碩
素光は本名、湯沢彦造。明治7年(1874)日光生まれ。二葉堂とも号す。長らく輸王寺に勤め、俳句に長じ、多数の弟子を育てた。
碑の裏面に延享二年(一七四五)に江府(江戸)にて七二歳で死去、翌年、この碑を建てたとある。
とあります。湯沢素光のことはわかりますが上領玄碩のことがわかりません。
インターネットで他を調べましたが、不明。 |
冊子 もうひとつの日光を歩く 隠れた史跡を訪ねて
日光ふるさとボランティア編 1996年6月20日 随想舎
湯沢素光句碑と上領玄碩墓碑
涼しさや 岩かむ美都の 磯うねり
素光は本名、湯沢彦造。明治7年(1874)日光生まれ。二葉堂とも号す。長らく輪王寺に勤め、俳句に長じ、多数の弟子を育てた。昭和26年、死去。
碑の裏面に、二葉堂師還暦祝賀記念とあり、昭和10年、門人一同の手により建てられた。
ヤキバ沢を挟んで、細長い素光句碑と対照的な、高さ2m・幅約60cmの上領玄碩墓がある。
玄碩は長州、萩の生まれ。源頼朝の弟、範頼(のりより)の子孫である。代々医者の家系が続いたらしい。
碑の裏面に延享2年(1745)に江府(江戸)にて72歳で死去、翌年子の頼恭が父の歯5枚を埋め、この碑を建てたとある。 |
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