子安地蔵尊の由来
この地蔵尊はかつての宇都宮城主だった戸田氏の守り地蔵尊だったもので大正9年3月現在の地に移されたもので今の宇都宮は下野国と呼ばれ御本丸にその城が有り現在ではほんのわずかに城跡を残すのみですけれども、当時は城下町として栄えたとも伝えられており宇都宮城の釣天井にまつわるお話は昔を知る人には今なお有名でもあり私たちの西原町は組屋敷と呼ばれ、お城に働く人々の住居がほとんどでも有ったとか、古い時代の見取り図等によれば組屋敷には台陽寺の他に慈眼寺、地蔵寺、長福寺等の寺々も多くあり、一面田畑も多く、地蔵尊はいちじ町内の近能家屋敷内に安置され、その後台陽寺境内に移され戦後現在地に安置され60年に至るものです。
子育て、安産の尊として、この地蔵尊は古代より宇都宮城主時代の数々の歴史を秘めていまなおこの地に皆様の大切なお子様達の成長と健康、家内安全、交通安全を守護なされておるものです。昭和50年4月5日、60年を記念して町内挙げての盛大な法要を行い、今後益々地元並びにこの地を訪れる皆様の子安地蔵尊として祈願することを念じましょう。
手と手合わせる心の中にそっとほほえむ地蔵尊
昭和54年5月 新町上組自治会 |