妙金寺の由来については
当山は今より700年余前日蓮聖人の御巡錫により開創されし古刹たり。文永2年(1265年)日蓮上人野州遊化の途次宇都宮に到り君島備中守平網胤の館に宿り給いし時その母宗祖の徳に帰依して弟子とならんことを乞う。依って聖人は直筆の本尊を授け剃髪染衣せしめて名を妙金と賜う。
宇都宮七代城主景網の家臣備中守は母のため、21宇を建立し、徳治2年(1307年)3月高祖の法孫摩訶一阿闇梨日印上人を請じて開堂供養の式を営み法光山清光院妙金寺と号す。柳々当時宗祖が妙金尼に授与されし本尊は2幅たり。その当時寺内に大きな沼ありき夜な夜な妖しき光の塊が囲繞(いじょう:とりまくの意)夜明けと共に沼の中に消え失せしと、その真相究明に力を注ぎしところ底に大きな石あり、その下に桐の箱ありて中より2幅の本尊を発見せり。
想うに天文法華の乱(1536年)の際、時の住職が背に負うて逃れんとせしが到底逃げおうせざるを悟り、この沼の底深く格護せん為沈めしものと。この因縁により夜光の本尊、鴛鴦の本尊(おしどりのまんだら)と称され今に有名たり。その1幅は元亀元年(1570年)に上洛し天文法乱に罹災せし当山の本寺たる京都本圀寺(第12世日了上人代)に献納、1幅は代々相伝え今尚寺宝とす。
当山は往昔代々宇都宮城主の祈願寺として、また皇室鎮護の勅願道場たる大光山本圀寺の旧直末にして緋金襽跡中本寺の寺格を授与され宗祖旧跡の名刹たり。開基は清光院殿法光妙金大信尼、開山は摩訶一阿闇梨日印上人(本圀寺第3世)、第二祖は三位僧都日静上人(足利尊氏の伯父にして本圀寺第4世)以来春秋700年関東日蓮宗の重鎮として益々盛ん 第36世の現在まで法燈連綿たり。
境内に弘安5年(1282年)建立日蓮大聖人の五輪供養塔。開基、開山上人、中興開山心正院日隆上人及び歴代の供養塔あり。確かな沿革を見るに天文5年(1536年)の法乱、文化11年の類火を蒙り再度伽藍を焼失その都度復興さる。幸いにして慶応戊辰の戦火には本堂のみ厄を免れしも庫裏は焼失のため第33世日隆上人明治5年に庫裏を復興新築し6年に老朽化せし本堂を改築・・・・・と石に刻んでありました。 |