由来の説明板には次のようなことが書いてありました。一部判読できないところがありました。
痣(あざ)地蔵尊由来
中徳次郎町本陣某氏が智賀都神社東側田川沿線大道地内の開墾の際に、土中から発見されたもので直ちに智賀都神社南広場に安直したが其の後、文化4年(1794)に本陣入江■■氏に依って元神宮寺と云われた石屋根のお堂に遷座されたといわれている。
此の地蔵は痣地蔵と云われ「あざ」「いぼ」で困っている人が地蔵尊にお願いすると不思議にも治ると云われ近村は勿論のこと遠くは東京・福島・群馬方面からもお参りする人達も多数おりました。
昭和6年頃に念仏講の人達の願いで痣地蔵のお堂が増改築され子供達の習字の場所になったり戦中戦後の一時期疎開の方が入居した事もありました。
転居後は荒廃がひどく地蔵尊本体が用水堀に浸る事もあり昔の本陣に関係のある岩曽町の半田氏祖母の夢枕に出て「今私は下半身が水に浸って困っているので何とかしてほしい」と云うことで荒廃しきったお堂の問題について半田氏から中町町会に相談がありました。
昭和35年に一坪ほどのお堂に建替え安置されました。其の後入江さん宅から中町公民館に移転安置された。昭和59年屋台倉庫の増改築により仮住まいの状況にあったので遠く遷座された時を回想すると霊験あらたかな地蔵尊を遷座安置することが望ましいと云う事で町内皆様方の御厚情と浄財に依り平成6年12月建立す。 |