チョットわかりづらいところにありました。偶然に表示板を見かけたので脇道に入ってみましたが、それでもわからず、どんどん進んでいくと、作業中の方がいたので尋ねたところ、「ここです。」ということでした。一部を除きほとんど、埋め戻してしまったので、ピンときませんでした。
■説明板・・・
●上三川町指定文化財史跡 上神主廃寺址(かみこうぬしはいじし)昭和47年12月1日指定
この遺跡からは、奈良時代(八世紀)のものと思われる瓦(鐙瓦:あぶみがわら 宇瓦:のきがわら 平瓦:ひらがわら 丸瓦:まるがわら など)がたくさん出土しました。その中に、全国的にみても珍しいほど、多くの人名瓦(じんめいがわら)▼人の名を箆(へら)で書き刻んだ瓦▼が、平瓦(ひらがわら)((牝瓦(めがわら)または女瓦(めがわら))や丸瓦(まるがわら)((雄瓦(おがわら)又は男瓦(おがわら))の中にありました。
また出土瓦のうち、鐙瓦や牝瓦などは、下野薬師寺址の出土瓦によく似ているものがあり、この遺跡の創立時期は奈良時代と推定されます。
これらの瓦の分布範囲から見ますと、この遺跡の広さは方一町(約1ヘクタール)のものと考えられ、それは寺院または官衙(かんが:役所)の跡と思われます。
昭和58年8月3日 上三川町教育委員会
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