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●宇都宮市の風景    栃木県宇都宮市

熱木不動尊  ねぎふどうそん 20.4.5

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●熱木町・・・

熱木山不動尊由来
宇都宮熱木山

持宝院(宇都宮市田下町)に鎮座する不動尊像は、初代下野の国司宇都宮宗円(初代 藤原宗円)公、天皇の命を受けて奥州の賊徒征伐に遠征、城山村多気山頂上に陣を張りし時に、戦勝を祈願して不動尊像三体を造成したという内の一体で、世にも得難い不動明王で願い事叶うという伝説がある。

九代 宇都宮公綱公
多気山より城を宇都宮本丸に移転するに当たり、第一に守護神である不動明王尊像を宇都宮城内南方畑中に建立。宇都宮国綱(二十二代)代に至り、豊臣秀吉に伏せず、以って検地の不正を理由に宇都宮家は秀吉に取り潰しとなり、さすが古城を以って日本に誇れる名城も茲に(ここに)全く断絶するに至った。
而して(しこうして・しかして)豊臣家滅亡して徳川家に至り、宇都宮城復元するや、釣天井事件で有名な本田正純18万石城主として赴任したるも1年有余にして出羽山形に配流となり、後任に家康の娘婿奥平美作守(おくだいらみまさかのかみ)の入城するや産業に志し、特に織物を奨励し大いに声価(せいか・・・意味は名声)を上げたという。
斯くして(かくして)宇都宮城の安泰を祈ってまつられた不動明王であった。康平2年(後冷泉天皇:1059年)以来茲に(ここに)星霜900余年、そしてその歴史の中には幾多の災悪(さいあくと読むのだと思う。)が来したことであった。大洪水、大火災、地震、暴風、戦争等々、次から次へと起こる災難を突破して漸く(ようやく)今日の安泰と幸福を見る事が出来た次第で、これ皆不動明王の御利益(ごりやく)と断ずるものであります。

読み方がわからないのでひらがなを付けました。