■案内板・・・
●国指定史跡 飛山城跡 昭和52年3月8日指定 飛山城は、鎌倉時代末期の永仁年間(13世紀末)に芳賀高俊が主家の宇都宮城に近い当地に築城したと伝えられている。芳賀氏は、天武天皇の子孫である清原氏の一族で、代々、芳賀郡一帯を治めていた豪族であったが、この飛山を居城としてからは姓を先祖の「清原」に改めたといわれている。(宇都宮市編入以前の旧清原村という村名は、この清原氏にちなんだものである。)この飛山城は、高俊以後、慶長2年(1597)豊臣秀吉の命により廃城となるまでの300年にわたり清原氏の居城であったといわれるが、その変遷については定かでない。飛山城は、近世の天守閣・石垣等に代表される城と異なり、自然の地形を利用し、深い空堀と土塁を二重にめぐらし、外敵の侵入に備えた中世の平山城の様式を伝えている。なお、城の周囲にめぐらされた内堀には、通路と思われる「土橋」があり、外堀に面した土塁には、数か所突出部がみられ「物見櫓」と考えられている。この飛山城は、廃城以後約400年を経た今日まで往時の遺構をとどめているものとして全国的にも非常に高く評価されている。 宇都宮市教育委員会(昭和60年3月・建) |