20.3.6
■由緒碑文・・・
●奉納 近津神社由緒之碑
当近津神社は、鎌倉時代人皇第92代、伏見天皇の御代、西方城主西方遠江守烏丸景泰が、老臣山田丹後守道純、中新井美濃守高昌に命じ、社殿を造営し宇都宮二荒山神社の御分霊を勧請し、大己貴命、事代主命、武甕槌命(たけみかづちのみこと:雷神、かつ剣の神、相撲の元祖ともされる神)を祀り、西方家の氏神、西方郷13ケ村の総鎮守として創建した社である。
時に永仁元年(1293)9月29日であった。以来、天正15年西方氏7代太郎左衛門綱吉に到る290余年、代々厚く尊崇せられ、また結城、壬生、宇都宮、岩槻、古河の城主や代官崇敬の社として、多くの神田、社領を有した。記録によれば万治元年(1658)に御本殿、寛文12年(1672)に一の大鳥居が建立された。
祭礼は、丑の刻、座持と称する西方郷の旧臣67名が神前に列座し、祭典を執行、終わって神饌を拝戴し朝日の昇るを待って退席、次に郷内氏子一同、社参して付祭典の相撲興行、獅子舞奉納を行う習わしであった。元文2年11月神位宗源宣旨正一位が授けられた。往古より神主は阿久津氏、別当は仙蔵院が奉仕された。
明治5年、郷社に列せられた。・・・以下省略
平成5年9月吉日 |