■説明板・・・
●西方村指定天然記念物(現栃木市)真上(まがみ)のケヤキ 昭和59年12月24日指定
およそ800年前、源平合戦の頃、大木隆真という武士が、世を遁れ(のがれ)この山中に土着したという。この頃この奥7町程の地に同じく武士を捨てた和田某が住んでいた。今このあたりの地字名を和田といっている。隆真の住んでいたこのあたりには栃の大木が繁茂していたので栃の木谷と呼んでいた。現在の地字名を栃谷という。隆真には妻須磨との間に嘉代という娘があった。嘉代姫、嘉代姫と、いつくしみ成長を楽しみにしていたところ、嘉代8才のある日突然姿が見当たらず、両親狂喜のようになって探したが、夜になっても帰らなかった。悲しみの中に探し求め数年が過ぎ去った。せめてもの慰めと小さな祠を建て、すくすくと成長し大木となることを願い欅を植えて祀ったという。
昭和60年10月3日
西方村教育委員会 西方村文化財保護委員会(※現栃木市)
※後半の説明文は見えないところがあるが、大方このような内容かとおもわれます。 |