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●今市市の風景     現 栃木県日光市
二宮尊徳の墓所
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19.11.8
■説明板・・・
●報徳二宮神社由緒
・御祭神(主神)二宮尊徳命
・配神 二宮尊行命(※尊徳の次男) 富田高慶(※二宮尊徳の娘婿)命
・ご利益 学業成就・経営、商売繁昌・立身出世・五穀豊穣
・例大祭 毎年11月17日
ご祭神二宮尊徳命は江戸時代、天明7年(1787)現神奈川県小田原市栢山(かやま)の中農の家に生まれた。再三にわたる酒匂川の氾濫で田畑財産は流され、両親と死別して一家離散の困窮に陥ったが、24歳のとき独力で一家の再興を果たした。薪を背負い本を読む少年金次郎像のイメージはその頃のものである。この経験を元に小田原藩の家老服部家の財政再建を成功させ、武士として登用された尊徳命は、その後下野国桜町(栃木県二宮町※現真岡市))はじめととする烏山・下館・相馬といった約600の村や藩の経済復興開発に一生を捧げた。晩年の嘉永6年(1853)徳川幕府の命を受け旧日光神領89ケ村の復興に尽力し、安政3年(1856)報徳役所にて70歳で逝去され、手厚く埋葬された。即ち、「栃木県史跡 二宮尊徳の墓」である。葬列は報徳役所のある春日町より続いたという。その後、尊徳の終焉の地であるという全国唯一の由緒を持つこの霊地に明治31年神社が創建され、今日まで学問・経営の神様として信仰されている。尊徳命の建て直しの方法は「報徳仕法」と呼ばれて普遍性を持つことから、政治経済に携わる人々にも大きな影響を与えた。また全国に報徳社が結成され弟子たちによって継承された尊徳命の思想は「報徳運動」として実践されている。
報徳二宮神社 社務所