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戊辰戦役の碑
19.4.12
■説明板・・・
●戊辰の役の碑(安塚の戦)
大政奉還を不服とした幕軍の将大鳥圭介は、会津を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしたが、壬生藩の拒絶にあい、止むを得ず栃木を廻り、栃木から鹿沼を通って宇都宮に入った。宇都宮城を落とした大鳥軍は、明治元年2月21日(1868)から壬生城攻略の行動を起こして、幕田まで官軍の宇都宮進撃に備えた。4月21日夜半からの豪雨の中で、午前2時頃から姿川をはさんで、両軍の激戦が展開された。初め幕軍の攻撃が鋭く、併せて豪雨と深い霧に悩まされ、加えて三方から包囲される形となり官軍の負色(まけいろ)が濃くなったが、明方になって援軍が到着し、暫く幕軍を潰走(かいそう:戦いに惨敗して秩序なく逃げること。)させることができた。この時、戦死した幕軍34名の霊を弔い、大久保菊十郎他3名の有志によって、明治13年この地に碑を建立した。
昭和56年3月1日 壬生町教育委員会
■説明板・・・
●戊辰(ぼしん)の役の碑
慶応4年(1868)、江戸開城に不満をもった幕府軍は、江戸を脱出し各地で官軍に反抗しました。安塚の戦いもその一つです。幕府軍の将、大鳥圭介は会津藩を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしましたが、壬生藩の拒絶にあい、鹿沼を通り宇都宮に入りました。さらに、壬生を攻略せんとして幕田に進出しました。一方、壬生に入城した官軍は、因州藩(いんしゅうはん:鳥取)・土佐藩(高知)を主力として安塚に向かい、島田家を本陣とし、幕府軍と姿川を挟み陣を構えました。戦いは同年4月21日夜半から約4時間、豪雨と深い霧の中で行われたといわれてます。この時戦死した幕府軍34名の霊を弔い、有志大久保菊十郎他3名の手によって、明治13年(1880)に建立されました。
平成3年3月 壬生町教育委員会