親鸞聖人二十四輩第十三番 慈願寺参詣の御案内
名称 :粟野山無量院慈願寺
所在地 :栃木県那須郡馬頭町大字健武1220番地
宗派 :浄土真宗本願寺派
本山 :京都市下京区堀川通本願寺(西本願寺)
本尊 :阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
宗祖 :親鸞聖人(1173〜1262)
教義 :南無阿弥陀仏のみ教えを信じ必ず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、つねに報恩のおもいから世のため人のために生きる。
沿革 :当山開基の信願御房は親鸞聖人御直第二十四輩の一人にして俗姓は清和源氏の末葉、佐竹の一族、稲木三河守義清と申し、稲木(現在の常陸太田市)の城主で遁世して慈清と号しましたが、後に稲田の親鸞聖人の御弟子となり、名を信願房定信と改めました。天福元年(1233年)常陸国粟野鹿崎(現茨城県桂村)に道場を開き念仏のみ教えを広められましたが、天嘉元年(1257年)十月十九日往生われました。ここ健武の道場は、もと健武所生の少年、和久勝介が稲木家に仕え、信願房のお供をして稲田へ通う間に親鸞聖人の御指導を受け、信願房の御弟子をなり定念と号した。定念故郷の健武に帰り手、貞応元年(1222年)の春、親鸞聖人をおまねきし、七日間の御説法をいただき、健武の道場を建立、その堂宇を信願房へ寄付せられた。その後本願寺第三代覚如上人が健武の道場へ御滞留になり、慈願寺の寺号を賜ったのが当山の起源 |