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●馬頭町の風景   現 栃木県那珂川町
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武茂城跡
■説明板・・・
●静神社と武茂城跡のご案内
静神社は、大同年間(806-809)誉田別命を祭神として、字若宮に祀られていました。元禄年中(1688-1703)に徳川光圀の命によって、上郷地の山腹に遷座、手力男命を併祀して静神社と称しました。明治6年に村社となり、同33年に武茂城跡のこの地に奉遷されました。本殿は、間口1間(1.8m)奥行1.5間(2.7m)周囲に玉垣をめぐらしてあります。境内からは、市街地が一望でき憩いの場となっております。武茂城跡は、宇都宮城主景綱の三男泰宗が正応永仁(1288-1293)の頃、武茂庄10余郷の領主となって武茂氏を名乗り子孫に伝いましたが、応永14年(1407)宇都宮に世子がなかったので、持綱(6代)本宗を綱ぎ武茂氏は一時途絶えました。その後持綱の曾孫正綱が武茂氏を再興しましたが、正綱も本宗が継ぐことになり三男兼綱が相続して一万石の領主となりました。戦国抗争の世に入って、武茂氏は佐竹、那須両氏の抗争に係わり豊綱の代、慶長4年(1599)遂には佐竹に降り常陸大賀村に移され、武茂城は佐竹の臣太田五郎左衛門の居城となりました。慶長7年(1602)佐竹氏も秋田に移封され廃城となりました。武茂城、天剣を利用した鎌倉時代中期の築城によるもので、山城初期の城郭の様子が良く保存されており、馬頭町指定文化財となっております。
参考文献 下野誌

※本宗(ほんそうと読む)宇都宮氏本家のことなのか?
武茂城跡 武茂城跡 武茂城跡 本丸跡
静神社から入りました。山の中を道なりに登って行くと、本丸にたどり着きます。眼下には乾徳寺が見えます。本丸跡は以外に狭いような気がしました。