02   那須塩原市     三区町     23.6.20     田園風景百選へ
とちぎのふるさと田園風景百選に那須塩原市三区町が選定されている。
現地案内板・・・三区町が独自の案内板を作製してあります。
■とちぎのふるさと田園風景百選 認定日:平成23年2月2日
●三区町のスローガン
「守ります!那須の大地と清らかな疏水」
「好きです!那須疏水と緑豊かな郷・三区町」
●稲刈り・冬水田んぼに白鳥飛来・環境に優しい合鴨水田見学・那須疏水でそば粉を挽く水車、4枚の写真あり。
●県の北部に位置する三区町は、那須野ケ原扇状地の扇央部に位置し、表流水と地下水利用による水田耕作を主幹産業としています。また、日本三大疏水の一つである”那須疏水”の清らかで豊かな水が流れ、農村の自然環境にも恵まれた地域でもあります。農家の人達は、合鴨農法やJAS有機栽培、化学肥料と化学合成農薬の大幅使用低減等、環境にやさしい先進的な農業生産活動に高い関心を持ち、那須の大地を守りながら、安全・安心な美味しい米づくりと農作物の生産に取り組んでいます。三区町の85%は非農業者であることから、農業者と非農業者との”人と人のつながり”を強くし、”地域の協働力”を一歩一歩着実に高めることが大切です。「人」「農業」「環境」を一体として考え、地域の農業や環境を”地域の力で守り”「素晴らしい田園環境」をみんなで守りましょう!!

■もうひとつの案内板・・・
清らかな水 豊かな土 伝統ある里 心情あふれる人
私たちの誇れるすばらしい地域財産です。
三区町環境保全隊
・・・航空写真は町の碁盤の目のような町の区画を表していると思われます。

・・・日本三大疏水とは
▼栃木県:那須疏水、▼福島県:安積疏水(あさかそすい)、▼滋賀県・京都市:琵琶湖疏水。
■説明板・・・
●烏森神社(からすがもりじんじゃ) 鎮座地 西那須野町三区町635番地
・・・途中省略・・・
●由緒沿革
烏森神社の前身、烏ケ森稲荷神社は、平安時代の延喜2年(902)、上石上村(現、大田原市)の農人田守(たもり)という人が、烏ケ森の丘の上に祠(ほこら)を建て、豊受姫命(とようけひめのみこと※神社データベースには 伊邪那岐命の孫姫にあたる神。豊受大神(とようけのおおかみ)とも尊称し、皇太神宮の外宮の御祭神。天照大神のお食事を司る神で、「宇気」は宇迦之御魂命(倉稲魂命)、保食神(うけもちのかみ)、大気津比売命(おおけつひめのみこと)などの「うか」「うけ」「け」などと同じく、食物・稲の霊を意味するもの。倉稲魂命と同一神とする説もある。」とありました。)を祀り、五穀豊穣を祈ったことに始まると伝えられています。創建以来、那須野ケ原鎮護の神として、このあたりを入会秣場(いりあいまぐさば:共同の草刈り場)として利用した周辺54ケ村の信仰、殊に厚く、祠が守られてきたといわれます。
鎌倉時代初めの建久4年(1193)、将軍源頼朝の那須野巻狩の際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、神社の名は関東一円に広まったといわれます。江戸時代から明治の初めにかけては、上石上村の村社として守られてきました。
明治12年(1879)11月14日、後に総理大臣になられる、伊東博文と松形正義が、地元開墾発起人の印南丈作、矢板武等の熱意ある要請に応え、烏ケ森上から那須野ケ原を視察、開拓事業の協力を約し、その成功を祈願したといわれます。
明治14年(1881)8月6日、明治天皇の御名代として、有栖川熾仁(たるひと)親王殿下が神社にご参拝、那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松を御手植えになられました。
明治15年(1885)2月、那須開墾社は肇耕社(ちょうこうしゃ※三島農場)の三島通庸(みちつね)にも呼びかけ、上石上村と共に浄財を募り、社殿建築に着手しました。
明治18年(1888)、社殿竣工、4月5日、開拓者の氏神として、栃木県知事樺山資雄外、来賓多数参列のもと遷宮式(御神体を移す式)を盛大に執り行い、烏ケ森稲荷神社は「烏森神社」となりました。同時に神社を中心に松と桜を奉納植樹し、公園化が図られました。
明治27年(1894)5月6日、松形正義、佐々木高行両伯爵、佐藤暢知事等の臨席を得て、開拓者500余名参列のもとに、那須開墾社の開墾成業式が神前で盛大に行われ、開拓事業の成功を神社に奉告しました。以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。
平成11年(1999)9月吉日
烏森神社社務所

那須塩原市三区町は「とちぎのふるさと田園風景百選」に選定されている。