しもつけ名勝100選
昭和52年下野新聞社発行の冊子を参考
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普門寺の大イチョウ
樹齢300年
●上三川町▼お寺の説明板▼下野名勝百選▼お葉つき・夜哭(な)き・子育て大銀杏由来と伝説▼その昔、このあたり一帯は銀杏の大樹がうっそうとおい茂っていた。その中の老樹が毎夜気味悪い唸り声をあげて哭くようになったので里人は「夜哭(な)きいちょう」と呼び、恐怖の毎日を過ごしたそうです。たまたま上三川城中にも異変が相次ぎ、城主越中守綱親公も、ご自身が戦死なさる悪夢を見られた。▼時はまさに戦国時代で、最愛の部下を失い、敵も倒した罪の深さを痛感され、我が身と、もろ人の後生を願った城主は、信俊と申される天台僧を懇請して夜哭き銀杏を供養ののち切り倒したところ、空洞の中からよろい、武器等とともにとじこめられていた300有余ひきの大蛇が嬉しげに現在の本堂の方向の草むらに姿を消した。▼綱親公は御自身の蛇体仏を彫刻され、一宇を建立し、銀杏の木があった上三川の寺であるから木上山妙覚院普門寺と名付け、本尊を十一面観世音菩薩として本堂間口十一間とし、文明5年11月10日落慶、信俊大和尚を開山さまとした。▼足かけ5年ののち文明9年9月1日綱親公は群馬県川曲りの戦いに出陣し、上杉憲忠と戦い吾が子保業・清業と共に夢知らせのごとく討ち死にされました。その後、切り倒した夜哭き銀杏の後葉が、すくすくと成長し、葉の先に実がなる世にも珍しい銀杏となり、里人は、綱親公の化身(権化)が吾が子を護るような姿で、お葉つき銀杏となって花実をつけたのだと信じ、雌の銀杏であるところから「子育て銀杏」とも言われ、代々語り伝えられ、子育て信仰の霊木として崇拝されている。
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