しもつけ名勝100選
昭和52年下野新聞社発行の冊子を参考
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唐の御所
●那珂川町▼国指定史跡▼説明板:唐の御所伝説▼「唐の御所」は今から1300年前頃の横穴墓です。▼その昔、下総の猿島を根城に平将門は、その勢いに乗って、常陸、下野、上野の国司を攻め落とし、天慶(てんぎょう)2年には、関東の大半を征して、自ら親皇と称するまでになりました。▼しかし、将門は、一族の貞盛や藤原秀郷に攻められて天慶3年遂に滅んでしまいました。その当時、三島城主であった小高出雲守将良は、一族をひきつれ和見に来て黄泉寺を建て出家いたしました。▼まもなく将門の女が将良を頼って髪をおろし、女蔵比丘尼といいました。尼は、既に子を宿していて古墳の中で男の子を出産しました。▼このことを世にはばかって、唐土帝王の妃がざん言によって遠くこの地に流されて来たものといいふらしましたので、この横穴が「唐の御所」と呼ばれるようになったといわれます。
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