日光の洋館・建物
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■イタリア大使館別荘記念公園 20.5.7(この時は休館日でした。)
■説明板・・・
●イタリア大使館別荘記念公園 総合案内
▼開園期間 4月1日から11月30日
▼休館日 毎週月曜日 ※祝日又は県民の日(6月15日)の場合は翌日。ただし、7月20日〜8月31日までは無休。
・・・途中省略・・・
▼公園案内
中禅寺湖畔は、明治中頃から昭和初期にかけて、各国の大使や政府高官など国内に居住する外国人の別荘が立ち並ぶ国際避暑地として賑わった歴史を有する地域です。「イタリア大使館別荘記念公園」は、中禅寺湖の自然と歴史に親しむため、中禅寺湖周回線歩道の利用拠点として整備したものです。園内にある建物は、昭和3年(1928)に建てられ、平成9年(1997)までイタリア大使館別荘として使われていたものを、一般公開するために、全面改修したものです。
■案内板・・・
●イタリア大使館別荘記念公園 総合案内
湖畔に建つ本邸と、国際避暑地歴史館(旧称・副邸)の2棟は、アントニー・レーモンド(チェコ生まれのアメリカ人建築家)の設計によって、昭和3年に建てられたものです。平成10年に栃木県が買収しましたが、基礎部を中心に傷みが進んでいたため。平成11年度に改修工事を実施しました。
建物の内・外装にスギの皮を大胆に使った、ほかに見られない個性的な建築物です。
旧イタリア大使館別荘本邸 旧イタリア大使館副邸
男体山と中禅寺湖 波打つ中禅寺湖
■さかなと森の観察園 20.10.17
さかなと森の観察園パンフより  独立行政法人水産総合研究センター 中央水産研究所 日光庁舎
周辺環境と研究内容
明治の始め、地元の有志がイワナやコイを放流するまで、華厳の滝より上流の水域には魚は棲んでいなかったと言われています。その後、国がいろは坂の下の深沢というところにふ化場を建て、マス類のふ化増殖が始まりました。そして明治23年、このふ化場が現在地(菖蒲ケ浜)に移設されたことが当施設の起源となっています。
当施設は標高1,280mの高地に位置し、約12万uの広大な敷地には樹齢300年を超えるミズナラやウラジロモミの天然林が茂り、当所の所有する
地獄沢(龍頭滝下流は地獄川という名称。)水源からは水温9℃、水素イオン濃度6.8と周年安定した豊富な湧水が引かれています。また、当施設の周囲には中禅寺湖をはじめとする湖や河川が数多く存在しており、冷水性魚類の研究を推進するには大変恵まれた環境にあります。
この研究環境を活かして、当施設では早くからサケ科魚類の増・養殖に関する試験研究が行われてきました。現在わが国のサケ科魚類の中心的な研究機関として、魚の品質改良や天然水域における自然増殖力の向上等、生態系の保全にも配慮した増・養殖手法の開発を目的に、遺伝子解析など最先端の実験技術を駆使した研究が進められています。
事務所 事務所
■説明板・・・
●旧日光養魚場 NIKKO FISH FARM 1906-1964
ここは、1906年(明治39年)に旧宮内省御料局日光養魚場として出発した日本のマスたちのふるさとです。
日光養魚場の名は、創設以来58年間にわたり日本のサケ・マス類種苗供給地として国内はもとより、世界中に知られてきました。
正面の建物は、旧宮内省時代の1936年(昭和11年)に建てられ、皇族方の控え室として利用されてきた由緒ある建物です。昔懐かしい木製の分銅上げ下げ窓や、落ち着きのある暖炉などがあり、当時の雰囲気を偲ばせてくれます。
この看板は研究所内地獄川岸で生き続けてきたミズナラの木で、推定樹齢は300年です。1999年に護岸工事の支障木(ししょうぼく)として
伐採されたものです。
事務所内部 事務所内部
■説明板・・・
●奥日光近代観光の夜明けは、今から100年前、グラバーの川鱒放流から始まった
幕末から明治期をとおして日本の近代化に大きく貢献したトーマス・B・グラバー。
故郷のスコットランドを遠く離れ、やがて異国の地日本で晩年を迎えたグラバーの望郷の思いを満たしてくれた場所は奥日光中禅寺湖畔でした。
毛バリ竿(フライロッド)を片手に老いたグラバーは、中禅寺湖や湯川の岸辺に懐かしいスコットランドの日々を思い起こしていたのです。
明治20年代の中頃、湖畔の大崎に別荘を建てたグラバーが、ここで鱒釣り三昧の夏を過ごすようになると、中禅寺湖畔は在日外交官とその家族たちの避暑地として賑わうようになりました。
鱒の棲める清らかな水と先人達の養殖研究・水産振興の努力、そして避暑別荘地の開発は文字どおり一体となって、この奥日光地方の近代化を支えてきました。
1902年(明治35年)5月2日、グラバーは戦場ヶ原を横断する湯川にアメリカ合衆国コロラド州から日本で初めて川鱒(ブルックトラウト)を輸入し放流しました。後に「パーレット鱒」と呼ばれるようになったこの川鱒こそ、自分の望郷の思いを癒してくれた奥日光の風景と、自分を暖かく迎えてくれたこの土地の人々に対するグラバーからの心をこめた贈り物でした。
グラバーの川鱒放流は、単なる釣魚世界の出来事に留まるわけではありません。それは同時に、奥日光中禅寺湖畔が在日外国人貴顕(きけん:身分が高く、有名なこと)紳士の避暑別荘地として確固たる地位を築き始めていたことを表す象徴的な出来事でもありました。やがて、中禅寺湖畔は欧米にも名の知られる、日本を代表する避暑地として黄金時代を迎えることができたのです。2002年はトーマス・B・グラバーの川鱒放流からちょうど100年目を迎えます。奥日光観光史の原点ともなった「避暑地日光」誕生の由来と、その後の盛衰、そしてこれからの奥日光のあり方に思いを巡らせるに、ふさわしい記念の年なのです。
旧イタリア大使館別荘本邸 旧イタリア大使館副邸
男体山と中禅寺湖 波打つ中禅寺湖