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奈佐原文楽

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20.2.10鹿沼市民文化センター
■国指定選択民俗文化財
■栃木県指定有形文化財
■栃木県指定無形民俗文化財

●奈佐原文楽の由来・・・・パンフレットより
江戸期に奈佐原の地は宿場町であり、遊郭なども所在していたので遊芸人が定住し、これらの影響を受けて人形芝居も流れ込んだのであろうとの説が一般に伝えられている。

●現存する引き幕の「文政7年(1825)甲申8月吉日」衣装下の胴枠の「文化文政7年甲申8月吉日 関蔵作」とあることから見て、文化年間(1804〜1817)にはすでに奈佐原の地に文楽人形一座があったと伝えられている。その後、世の移りとともに衰退したが、明治時代に「吉田国五郎」の門弟で、大阪文楽の人形遣いの名人「吉田国蔵」(後の西川小伊三郎)が奈佐原に居住し、人形の操作や浄瑠璃の指導にあたり再興された。
●また、浄瑠璃では大阪文楽を退座した竹本蔦太郎も楡木に住み指導に当たった。彼らの指導のもと、江戸期より奈佐原の地に伝承されていた人形芝居は復活し、地元愛好者により「福寿座」が結成され、近在にその名を謳われる(うたわれる)ようになった。
●その後、技術保持者らの努力により、昭和28年1月には人形の美術的価値の他、人形芝居研究の好資料となること、また人形操作技術技量水準からも、県の重要文化財(無形文化財)に指定された。
同じく昭和46年4月21日には国選択民俗無形文化財指定を受けている。

●現在は県及び市、各関係機関等かのご理解ご協力のもと、地元文楽保存会および文楽一座の人達によりこの芸能は受け継がれている。・・・・という内容でした。
↓演目 傾城阿波の鳴門(巡礼歌の段〜十郎兵衛住家の段)
↓演目 絵本太功記(尼ケ崎の段)