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1.奈佐原神社 なさはらじんじゃ |
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祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で奈佐原の鎮守です。創建年代は明らかでなく、宝永2年(1705)の記録がありましたが、奈佐原宿の大火で焼失してしまったとのことです。社殿は立派な彫刻で飾られ、祭日は11月23日です。境内には小出神社・愛宕神社・八坂神社などが境内社として祀られています。 |
2.小出神社 こいでじんじゃ |
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小出大助が幕府の代官として当地に任ぜられたのは、寛政5年(1793)から享和元年(1801)までの9か年とみられ、たまたま、5街道の宿駅は助郷のために苦しめられ、特に奈佐原宿は多年にわたり夫役(ぶやく:公用につかう人夫)の徴発(ちょうはつ:人夫をかき集める)に問屋も農民も苦しめられていました。大助はこの弊風(へいふう:悪い風俗や習慣)の一新を図り、無理解な人夫徴発を禁止し、人々の保護に努め、また勤倹(きんけん:勤勉で倹約なこと)・貯蓄を奨励したり、荒地の開墾を図ったりしたので人々は救われ豊かになりました。その後、大助が飛騨国(岐阜県)の代官を命ぜられたとき、去るのを惜しみ、愛宕神社の境内に生祠(せいし)を建立して「小出様」として祀り、1月24日を祭典の日と定め、盛大に祭典が行われてきましたが、明治20年(1887)ころ愛宕神社と共に奈佐原神社の境内社として鎮座されました。 |
3.奈佐原宿 なさはらしゅく |
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奈佐原宿は現在国道293号線沿いにある奈佐原町であり、奈佐原町は江戸時代における日光例幣使街道沿い宿場町としての歴史を有しています。現在その面影は殆ど残っていません。例幣使街道とは、天保4年(1647)将軍家の霊廟である日光東照宮に例幣使を差し遣わすようになり、上野国倉賀野から日光に至るまで通った道のことです。奈佐原宿は例幣使の本宿分(鹿沼宿・壬生宿)の継立(つぎたて)する間(あい)の宿であり、壬生宿までの片道勤めで、泊荷は鹿沼宿までの継ぎ立てを行った宿場宿であり大いに栄えていまものと思われます。明治9年の奈佐原宿の絵図を見ますと、街道の中央に用水堀が流れており、宿の出入口に木戸があって、暮六つから明六つまで木戸を下ろして居一般の出入を禁止した様子が描かれています。 |
4.奈佐原文楽 なさはらぶんらく |
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江戸時代奈佐原は例幣使街道(壬生通り)の宿場として栄え、文化年間(1804-1818)から操り(あやつり)人形浄瑠璃(じょうるり)が、地元の同好者によって演ぜられてきました。その後衰微しましたが、明治25年(1892)に吉田国造(西川小伊三郎)らの指導によって再興し、昭和28年(1953)栃木県民俗無形文化財指定、文楽人形頭(かしら)20頭が昭和33年栃木県有形文化財に指定され、衣装などと共に「文楽用具収蔵庫」に保管されています。
20.2.10奈佐原文楽 |
5.胞衣神社 えなじんじゃ |
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「文楽用具収蔵庫」の近くの墓地にあり、出産した後産(胎盤)や流産児などを埋めて、産子の成長を祈ったり、死児の冥福を祈った所です。 |