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1.磐裂神社 いわさくじんじゃ |
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日光奈良部の鎮守として祀られ、祭神は磐裂神で創建は明らかではありません。現在使用されている幟(のぼり)に星宮大権現、年号は天保5年(1834)と記されているので明治初年、神仏分離の時、磐裂神社と改称されたものと思われます。平成18年度中に改修工事が予定されています。 |
2.鈴木(要三)家 すずき(ようぞう)け |
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日光奈良部の素封(そほう)家で農業の傍ら薬種商を営み、「大林堂」(たいりんどう)と称したことから屋号を大林(おおばやし)と称しています。代々名主で、要三は戸長(こちょう)区長・県議・村長など要職を務め、明治20年下野紡織(紡績)会社を創立し、長男要吉をフランスに私費で派遣して経営、技術の導入を図り、日本で初めてと言われる水力発電を行い、工場、社宅の点灯をしました。その後、会社は幾度か社名を改め「帝国繊維」となり鹿沼の発展に大きな役割を果たしてきました。 |
3.十九夜碑(講) じゅうくやひ(こう) |
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地区の南部にある共同墓地に隣接して碑があり明治41年建立と刻んであります。昭和22年までの記録簿が現存し旧暦の正月13日と3月19日に女性達が当番宅で飲食を共に集う様子が偲ばれます。当時使用した観音様と十三仏の掛け軸、鉦、太鼓が今でも葬儀のあった家の持ち回りで保管され、法事の度に使用されています。 |
4.胞衣神社 えなじんじゃ |
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十九夜碑と同じ場所で墓地の一角に祀られ、胎盤等の後産、流産、死産を供養し、子の成長を祈願する神社です。昭和60年までは祭典に子供達が集り、菓子や赤飯が振舞われてましたが、現在は当番坪だけで祭典を執行しています。親心と思われる大きなグミの木があり毎年、枝垂れるほど実をつけています。 |