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>北押原のさとめぐり ふるさと史跡マップ |
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1.奈良部小学校跡 ならぶしょうがっこうあと |
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奈良部小学校は明治6年樅山町にある光明寺の「惜陰舎」(せきいんし)の分校として、上奈良部に「寛祐舎」(かんゆうしゃ)の名称で創立されました。同8年独立して奈良部尋常小学校と称しましたが、同10年火災により焼失したため、下奈良部の廃寺宝蔵院を改修して校舎とし、その後、幾多の変遷を経て昭和22年に北押原小学校に併合して分校となり、同37年に分校が廃校となりました。現在、その跡地は奈良部農村生活センターとして使用されています。 |
2.磐裂神社 いわさくじんじゃ |
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下奈良部の鎮守で、祭神は磐裂・根裂の二神で創建は明らかではありませんが、棟札に文永元年(1264)再建とあるとのことです。祭日は12月15日でしたが、現在は勤労感謝の日(11月23日)に行われています。磐裂・根裂の神は作神とされ、江戸時代には星宮として虚空蔵様を祀ったもので、明治初年に社号を改めた例が多く見られます。鳥居の近くに珍しい「くぼみ石」(蜂の巣石)が祀られています。 |
3.北向地蔵 きたむきじぞう |
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神社の南西にある共同墓地の北側に地蔵尊が祀られ、「北向地蔵」といわれて信仰されています。地蔵尊は安産や子育ての仏として女性の信仰が厚く「地蔵講」などがありますが、ここには十九夜供養碑や馬力神の碑などが数多く見られ、「十九夜講」や馬の供養のための「蒼(勝)善講」などが行われたものです。また北側の墓地には「薬師堂」があります。 |