・・・塩山町・・・
 北押原のさとめぐり ふるさと史跡マップ
18.2.14
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 1.石山天満宮 いしやまてんまんぐう
祭神菅原道真。嘉永年間(1848-1853)塩山村が大嵐にみまわれ、農作物が全滅になったことがありました。村人達は村の北方の石山の、村を見渡す場所に、嵐除けとして天満宮を祀りました。その石山の名をとり石山天満宮と呼ばれるようになったとの言い伝えがあります。祭日は2月25日です。

冊子に載っている天満宮が見つかりませんでした。たぶんこの神社だとは思いますが。この神社には数社祀られています。
 2.大社久保 だいしゃくぼ
石山の南麓に窪地があり、昔ここに大蛇がいて人々を困らせたので「大蛇が窪」とよばれ、また弘法大師の伝説とともに「大師が窪」とも呼ばれていました。明治9年(1876)に「大社久保」と改称したといわれています。
 3.三峰桜 みつみねざくら 
大社久保の旧道の小高い所に桜の古木があり、幹が三つに分かれて、それぞれの幹に別の花が咲き、初めに山桜、次に毬桜、次に初めの山桜の花の散る頃咲くという珍しい桜で「三峰桜」と言われています。根元には延宝6年(1678)と刻まれた自然石の碑があります。
4.弘法の袈裟懸け松 こうぼうのけさかけまつ
塩山地区の日限地蔵尊
「三峰桜」の南に松の古木があり、「弘法の袈裟懸け松」と言われていましたが、昭和50年頃枯れてしまいました。その根元にある石造りの地蔵尊の光背に宝暦6年(1756)「左之(い)ずる道」などの銘があり、旧道の道標にもなっていたものです。

塩山地区の日限地蔵尊です。新しいお堂でした
 5.星宮神社 ほしのみやじんじゃ18.2.14
塩山町山越にあり、大社久保から山越に通じる旧道にあったもので、祭神は磐裂・根裂の二神で、文禄元年(1592)の勧請といわれます。祭日は旧9月13日でしたが、現在は10月13日に行われています。星宮は星を神格化してまつる神社で、妙見、虚空蔵菩薩など星に関係する神(仏)をまつり、虚空蔵さま、妙見さまとも呼ばれています。明治初年の神仏分離令によって作神とされる磐裂、根裂の神を祭神として社名を改めたもので、鰻が虚空蔵様の乗り物だとして、氏子が鰻を食べないとする伝承があります。

塩山町の神社
 6.山越観音堂 やまこしかんのんどう
山越公民館の南の観音堂には如意輪観音の石像が二体祀られ境内には馬力神碑や十九夜供養碑などが数基あり、毎年9月19日に十九夜講が行われてきました。講中は観音堂で十九夜念仏を行い、当番宿で会食をして団欒(だんらん)をしました。
 7.胞衣神社 えなじんじゃ
未撮影 塩山の総代会は大正4年5月に、塩山字太子868番地に胞衣神社を祀る事を決議しました。墓地の一角に祠を建立し、胎盤などの後産を供養する祠に向かって男児なら左手、女児なら右手に和紙に包んだ胞衣を境内地に埋めて、その上に父親の名を書いた胞衣札を差して、子の健康を祈願しました。
 8.太子堂 たいしどう
塩山の北部に太子堂があり、聖徳太子を祀り、2月22日には谷田部(昌克)家など8戸で太子講が行われてきました。現在は風祭りと共に上組農家で行われています。太子講は大工、木挽や鳶職などが奉讃する講中ですが、現在ここには伝承がありません。
 9.辻どめ つじどめ
未撮影 塩山境(辻どめ・辻きり)14か所ほどで行われている。一般に道祖神が祀られ、ここでは八衢(やちまた)神、三神・塞神(さいのかみ)を祀ります。これは村境の分岐点を守り、邪霊や疫病の進入を防ぐための行事です。2月末頃より3月にかけて行われます。
 10.六地蔵 ろくじぞう
円明院から北へ500m位の墓地には六地蔵尊と呼ばれる石像があります。現在そこには、5体の石像がありますが、それぞれの像には、宝永7年(1710)、正徳元年(1711)、3年、4年、享保元年(1716)の銘があり、毎年1体ずつ建立されたものと思われます。
 11.円明院 えんみょういん
金剛山と号し真言宗薬王寺の末寺で、元亀(げんき)元年(1570)の創建といわれます。もとは東武線の西方にありましたが、天和(てんな)2年(1682)に現在地に移転したと伝えられ、本尊は木像の地蔵尊で左右に不動明王を配しています。江戸時代末期には境内に寺子屋がありましたが、明治初期以降は無住となりました。明治6年(1873)から大正7年(1918)まで塩山小学校として使用されましたが、その後市町村合併により北押原小学校となりました。境内には最後の校長谷中先生の頌徳碑が立っております。本堂は平成15年12月17日に火災にて焼失しました。

写真は焼失前の円明院です。
 12.塩付坂 しおつけざか
昔、大社久保の西南の山中から、塩が出たというのが塩山の地名由来といわれ、その塩を運んだ旧道の坂が塩付坂と呼ばれていました。
 13.薬師堂 やくしどう
寛政6年(1794)甲寅年4月吉日に、佐藤半蔵、佐藤新右ヱ門、赤羽弥惣八三家にて、金が沢にお堂を建立しました。昭和47年、西山に72カントリーゴルフ場が出来るため塩山神社北側に移転されました。祭日は旧4月8日でしたが、現在は5月の第2日曜日に行っています。
 14.不動堂 ふどうどう
神社の北にある不動堂には、宝永7年(1710)銘の不動尊の石像などがあり、中組で祀ってましたが、現在祭りは行われていません。江戸時代の真言宗修験明宝院の廃寺跡で、塩山神社との関わりが考えられます。
 15.塩山神社 しおやまじんじゃ
社伝によると神護景雲元年(767-770)日光山より田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津(たつぎ)姫命・市杵島(いちきしま)姫命を遷座し、日光女胎大権現と称し、のち天保13年(1842)女体三社大明神と改め、明治元年(1868)塩山神社と称し現在に至っております。祭日は毎年11月23日に行われています。

塩山町の神社
 16.八坂神社祭神素戔鳴命 やさかじんじゃ さいじん すさのおのみこと
由緒万治元年(1658)6月15日勧請(塩山神社に祀る)祭日は現在7月第二日曜日に行われています。大杉神社祭神大国主命。由緒万治元年(1658)4月7日勧請。祭日現在は八坂神社の祭日と同じ日に行っています。塩山囃子は道中囃子と、五段囃子があり、八坂、大杉神社の祭礼に囃します。天保13年(1830-1844)から伝承になり平成7年鹿沼市無形民俗文化財に指定されました。
 17.大内神社 おおうちじんじゃ
字大内にある神社で孝謙天皇が宝亀3年(772)当地に行幸されたとき、天皇の守本尊の雲石不動を勧請したと伝えられますが、明治12年(1879)ころ雲石不動の祭神を日本武尊に改めたといわれます。境内に岩石が多く雲石岩や清水の滝があります。祭日は旧1月1日・9月18日でしたが、明治43年から10月18日に改められました。なお付近に、大内、または大内籬(おおうちまがき)という字名があります。孝謙天皇にまつわる伝承があります。

塩山町の神社  大内神社
 18.大内廟堂 おおうちびょうどう
宝亀5年(774)大内の宗徒が、都より愛宕蔵菩薩をお迎えして都より帰る時、宿場に泊まるにあたり宿場の人達が仏像を拝して宿賃を奉納したので無事に大内まで仏像を迎えることが出来、廟堂を建立し祀ることができたという伝承があります。
 19.小森(雲石)家 こもり(うんせき)け
小森雲石は文政5年(1822)に生まれ、はじめ武平と称し、和漢の学を修め塾を開いて子弟を教育し、また、剣術に秀れ当流兵法(山本流)の免許を受け、邸内に道場を設けて剣術の指導にもあたりました。その他医術にも通じて困った人々を助けるなど信望も厚く、明治24年(1891)70歳で亡くなりましたが、翌年、門人たちにより邸内に碑が建立されました。北側の墓地には十九夜碑などが数基あります。