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村井町(むらいまち) |
1.胸形神社 むなかたじんじゃ |
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祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)で創建は明らかではありませんが、日照り続きのとき、6か所の溜まり水を作物に注いだところ、汲めども汲めども湧き出たことから、その神徳を崇(あが)めて、六つの祠を建立したのが起源とされています。江戸時代には「女体権現」と称しましたが、明治2年(1869)「胸形神社」と改称されました。祭日は10月19日です。最近、御神木が落雷のため枯れて伐採されましたが、樹齢約320年とのことです。なお、近くの岡坪に、もと「光太寺」があり、、天正元年(1573)の創建で、文禄元年(1592)西鹿沼に移転したといわれます。
村井町の神社 胸形神社例大祭 |
2.六ツ井 むつい |
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村井には六つの井戸(泉水)があり「村井」の地名の由来といわれています。日照り続きのとき「六ツ井」の井戸浚い(さらい)をして、胸形神社に雨乞いをすると、雨が降るといわれます。鹿沼市選「グリーンライフ保存樹木」の「しだれざくら」があります。
しだれざくら 村井町の囃子連の半纏
写真の井戸は実際の場所とは違います。
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3.村井城跡 むらいじょうあと |
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小藪川の馬橋の西にある台地でこの一帯を「盾の内」とか「城の内」とかと呼んでいます。東西約110m、南北120mの回字形をなし、堀の深さが約4.5mもあり東側は東武日光線の建設工事のとき、多量の土石の搬出のため掘削されました。そのとき縄文時代の遺物が出土しています。この城は、源義家が奥州征伐のとき鎌倉権五郎景政に命じて一夜にして築城したと伝えられ、その後、文亀年間(1505-1504)に鹿沼城主が修理を加えたといわれ、また大門資忠(ただすけ)の館とも伝えられています。
村井城跡 |
4. 五良神社 ごろうじんじゃ |
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<>村井城跡の南に五良神社があり、祭神は鎌倉権五郎景政といわれ、、現在城跡の東南端に遷座されています。権五郎については各地に伝説があり、出陣の際に転んで胡麻の茎で眼を突かれて片目になった「一つ目」の怪異の信仰と結びつくものもありますが、「五良(郎)」は「御霊」の転訛(てんか)したものと考えられ、怨霊(おんりょう)の鎮魂のためのまつりが英雄譚と結びついたことも考えられます。
<><><><><><><><><><><><>村井町の神社<>
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5. 胞衣神社 えなじんじゃ |
未撮影 |
胞衣神社は墓地の近くにあり、後産(胎盤)や流産児などを埋めて、産子(うぶこ)の成長を祈り、あるいは死児の冥福を祈ったところです。以前は家庭で出産したので、後産は床下・便所の前・戸口などに埋めた所もあります。ここでは3月3日にまつりが行われます。この近くに「寺子屋」と呼ばれる家があり、以前寺子屋が開かれていたといわれます。 |
6. 段ノ浦遺跡 だんのうらいせき |
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鹿沼商工高校の南、小藪川の西の台地が「段ノ浦遺跡」で、縄文時代の石斧・石鏃(せきふ・せきぞく)●鏃(やじり)●などが数多く出土しています。・段ノ浦古墳群また、この付近には古墳が数多くあり、破壊されたものもいくつかあります。この古墳群は黒川水系では最も奥地にあるものの一つで、南大通り建設にともない平成9〜10年にかけて発掘され、古墳時代後期(約1400年前)の円墳3基、前方後円墳1基などの出土品が「文化活動交流館」に展示されています。
場所がわかりませんでしたので近くの風景を載せました。 |
7. 薬師堂 やくしどう |
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4月8日には当番の人たちによって供え物などが準備され「花祭り」が行われます。石標には「日光17番札所」とあり、樹齢100余年の椿は鹿沼市選「グリーンライフ保存樹木」に選定されています。
薬師堂のツバキ |
8. 宝龍観音 ほうりゅうかんのん |
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国道293の村井町交差点の北西角に小祠があります。その由来は、明治も末期に当地の所有者の土地から約3cm程の金属製の仏像が出土し、また、その後平成になって道路拡張の工事のときに、数本の石仏が出土しました。たまたま交通量の増加と共にこの付近での事故も重なり、交通安全の守護仏として、字名に因んで「宝龍観音」として金仏と2体の石仏を祀り、他の石仏は薬師堂に納められました。 |