神社一覧へ
●鹿沼市の風景       栃木県鹿沼市
町名一覧 ホーム
村井町の神社
朝日町//油田町//泉町//磯町//今宮町//池ノ森//板荷//大和田町//御成橋町一丁目//加園//貝島町//亀和田町//上田町//上石川//上大久保//上久我//上材木町//上殿町//上奈良部町//上南摩町//上日向//北赤塚町//銀座一丁目//草久//高谷//佐目町//酒野谷//笹原田//三幸町//下田町二丁目//下石川//下大久保//下武子町//下遠部//下奈良部町//下南摩町//下日向//下横町//下沢//下材木町//下久我//塩山町//白桑田//末広町//千手町//千渡//武子//玉田町//天神町//寺町//戸張町//富岡//栃窪//鳥居跡町//奈佐原町//仲町//日光奈良部町//西沢町//楡木町//仁神堂町//西鹿沼町//野沢町//野尻//花岡町//日吉町//引田//府所町//深津//深岩//藤江町//文化橋町//蓬莱町//見野//南上野町//村井町//茂呂//樅山町//
1 胸形神社
鳥居 神社 神社
2 道祖神

下日向との境にありますので村井町にも載せておきます
1 2 3
3 五良神社
五良神社 神社
むかしの村井村  
「鹿沼市史資料編 近世2」参考

村井村
西山の麓の丘陵地で東部を小藪川が南流し、この灌漑用水により周辺に水田が開けるが畑作を主とする地帯で、古墳や遺跡が多い。元禄末より二給支配、天保9年には589石余・家数47軒・人数210人
・居酒屋2・むし菓子屋1・麻屋1・古着屋2・大工1とあり鹿沼宿の助郷村であった。

村井村の概要
村高は「慶安郷帳」では393石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに589石余。鹿沼藩領、武蔵岩槻藩領などをへて元禄期(1688〜1704)以降は旗本伊沢氏(195石余)と本田氏(394石余)の二給となり幕末に至る。明和6年(1769)時の家数57軒、人口212人、馬9疋。文政10年(1827)時の家数48軒、人口214人、5軒が農間渡世に携わっていた。文久3年(1863)時の家数42軒、人口213人。鹿沼宿の定助郷。寺院は真言宗一条院(現在廃寺)、鎮守は女体権現(現胸形神社)

一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本による分給支配地である。
相給=複数の領主下