坂田稲荷神社 上材木町 祭礼の幟旗が沢山あった。
ふるさと郷土史散歩 柳田芳男氏 著 参考
厳島神社
昔はこの池から大量の地下水がわき出していた。ちょっと掘れば噴出するという状態であった。わき水があるところ必ず弁天の社ありで、弁天本来の性格である水神・農業神として、ここの弁天をはじめとし、鹿沼の五弁天の起源と性格をとらえることができる。上材木町の弁天社の場合、もと八竜神とも称したということは、そもそも水神であったことを意味している。明治八年に厳島神社と改称し、祭神も市杵島姫神のほか二神となった。縁起によると天文年間(1532〜54)の創立といわれている。
坂田稲荷神社
市庁舎の東北、道を隔てて鎮座している。東が正面で、石段を上がったところにある石鳥居の銘に文化二年(1805)とある。坂田稲荷の創建は天文年間(1532〜54)という。その奥社は坂田山にあり、鹿沼城の西北端、一番高いところに位置している。一辺約40mの広さを有し、周りを堀に囲まれた境内は、かつては鬱蒼たる樹木に覆われていたが、今は坂田団地の造成に関連して、通称拳骨山の通りの裸山になってしまった。 |