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1 狐ケ森稲荷神社


鳥居 神社 神社
2 厳島神社

狐ケ森稲荷神社境内にあります。
神社 神社 狐ケ森稲荷神社境内
むかしの上府所村 (現在の下武子町) 
鹿沼の歴史  「鹿沼市史資料編 近世1」参考

上府所村
黒川左岸にある。「慶安郷帳」には府所村とあるからその頃までは上・下を含めて一村であった。「元禄郷帳」には高103石余とある。天保9年には家数8軒・人数35人を数えた。

上府所村の概要
「慶安郷帳」に府所村とあるように、もとは下府所村と一村であったと見られる。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに103石余。鹿沼藩領、武蔵岩槻藩領などをへて、元禄期(1688〜1704)には旗本服部氏領。宝暦13年(1763)に下総佐倉藩領となり、その後幕府領をへて再び佐倉藩領となり幕末に至った。天保9年(1838)時の家数8軒、人口35人。鹿沼宿の定助郷。神社は二荒山神社があった。

参考
慶安郷帳  1648年
元禄郷帳  1701年
天保郷帳  1834年


むかしの下府所村 (現在の府中町・府所町・府所本町)   
「鹿沼市史資料編 近世2」参考

下府所村
「慶安郷帳」には府所村とある。中世の府所郷に対して、近世初頭に上・下府所村にわかれたもので、天保9年(1838)の下府所村の村高は163石余・家数34軒・人数120人、幕末は天領で鹿沼宿の助郷村であった。村内を流れる黒川や武子川の分流による洪水のため、川欠けなどの災害がたびたびあった。また水利に恵まれ水車が営まれている。

下府所村の概要
黒川の両岸にまたがる村域をもち、鹿沼宿の田町と接する。17世紀前半までは、上府所村とともに「府所村」の領域を構成していたと考えられる。「慶安郷帳」では、「府所村」で、田高142石余、畑高60石余であった。ただし、慶安2年(1649)には下府所村として検地を受けており、かつての「府所村」が実質的には上・下の二つに分村していたことがわかる。この検地帳の名請人をみると、肩書きに職種や営業内容を付す者が多く、鹿沼宿に隣接する下府所の百姓が商工業に従事していた様子がうかがえる。また、鹿沼宿からの出作人の存在も想起される。「元禄郷帳」では、下府所村一村で161石余の村高となる。近世前半は阿部重次の鹿沼藩領から武蔵岩槻藩領へと推移し、元禄期に旗本服部氏領となり、文政期に改革組合村ができて以後は幕府の支配を受け、幕末を迎える。黒川の洪水の被害を受けやすく、洪水対策をめぐっては、隣接する田町と共同歩調をとることが多かった。